千年の記憶
茅ヶ崎市鶴嶺神社の樹齢千年(伝承)の銀杏の木です。下から見上げると黄葉に覆いつくされています。圧巻の光景です。
D750 / レンズ:Ai AF Nikkor 20mm f/2.8D
鶴嶺神社には、大きくないお社があり、歴史を感じさせます。
もう銀杏の木とは思えませんね。
D750 / レンズ:AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
以下この銀杏の木に係る歴史です。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の最終回。東国の反乱が始まったというところで物語は終わりましたが、その時の「平忠常の乱」ですが、後の物語がこの銀杏の木になります。
ネット資料から抜粋
1027年(万寿4年)12月4日、摂関政治の最盛期を築いた藤原道長が死去。
同日、道長を支えてきた藤原行成も死去。政権が不安定となる中、安房国で反乱を起こしたのが平忠常。忠常は1028年(長元元年)6月、安房国府を襲撃。反乱は、下総国・上総国にも広がり、平将門の反乱以来の大規模なものとなりました(平忠常の乱)。乱を鎮圧したのは、河内源氏の祖・源頼信。
源頼信は、平安時代中期の武将。 968-1048.源満仲の子。 河内源氏の祖。 中央官界に身を置き、藤原道長などに長く仕えた。 平忠常の乱を平定したことで、源頼信の名は坂東一円になりわたり、武家の棟梁への礎になった。 源頼義は、平安時代後期の武将。 988-1075。 源頼信の子。 父とともに平忠常の乱を平定し、武名を高めた。源 頼義(みなもと の よりよし)は、平安時代中期の武士。多田源氏本流。河内源氏初代棟梁・源頼信の嫡男で河内源氏2代目棟梁。陸奥守兼鎮守府将軍として嫡男・義家とともに前九年の役に勝利し、舅の平直方から継承した鎌倉に鶴岡八幡宮を創建した。
鶴嶺八幡宮は1030年、源頼義が下総の乱を平定するため、 当地に、守り神である石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしたのが始まりだという。 1051年、陸奥守となって安倍氏と戦う頼義の応援に向かった長男の八幡太郎義家が当地で奥州平定を祈願して銀杏を手植えしたと伝へられている。 安倍氏を討った後の1063年、頼義は鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である「元八幡」を建立した。 鶴嶺八幡宮はその旧社となることから「本社八幡宮」といわれ、相模国、茅ヶ崎の総鎮守として往古には八幡信仰の名高い神社であった。 社殿脇に立つ、樹齢1,000年(伝承)、樹高29m、幹周9.0mと記される鶴嶺八幡宮の大銀杏は、 多数のひこばえが叢生し、それが癒着して成長して太い幹を形づくっているのであろう、 癒着したと思われる部分が深い縦の線になっているのが見える。神奈川県下最大の巨木である。
源頼朝までの家系図です。
歴史解説書みたいになってしまいました。(;^_^A
ご覧いただきありがとうございました。^^
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投稿を表示非常に勉強になります🙇
歴史は楽しいです!!
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