2025/01/05 19:55
父のカメラ機材の他に、母からも光学器を継承しています。母の新婚時代の大家さんの形見のオペラグラス「ミクロン」です。観劇などをよくされる方だったそうです。そのアパートを出た後、数十年後に再会し、晩年までお付き合いが続きました。
社マークについて少し調べると、「NIPPON KOGAKU TOKYO」は1930年から、1953年にできた後継「Nikon」が全製品で使われることになった1961年以前に製造されたもののようです。ケースの方は以降のマークなので、別のタイミングで用意されたものなのかな?と推察します。
調べていくうちに、個人的に新しい発見もありました。父が過ごした介護施設は、かつて日本光学の軍需工場があった競馬場跡地だったということも知ることができました。歴史もあるゆえに、身近に縁(ゆかり)がある国民的な企業の一つであると感じました。
私が光学機器に関心がなければ、どこかでメルカリになっていたかもしれませんが😝、今は防湿庫で眠らせておいて、時たま一緒にスポーツ観戦に出かけています。
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投稿を表示元々Nikonは三菱グループで戦中は潜水艦の潜望鏡などから、戦車の射撃用照準器等光学機械を軍隊に納入していたメーカーですから、他のメーカーとは違います。いまでも1社だけの納入になっていると思います。Fの時代からシヤッター幕にはチタンが使われたりして、頑丈さというか丈夫で故障のないカメラと言うことで頭2つ位抜き出ていました。戦後のブリキ細工のカメラが乱立した時代にも、ビスを外すとピシッと音がして回るのは、ドイツの2メーカーとNikonだけで、私がNikon党なのはそのころからです。
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投稿を表示とても大切に使っていただいていたのでしょうか、ミュージアムにエピソード付きで展示したくなるような美品ですね🥹オペラグラス自体とケースが異なる年代のものというのも、大変興味深く読ませていただきました。ぜひともTakOnさんも引き続きお使いいただいて、いろんな景色をニコンのレンズでお楽しみください✨
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