小林先生の写真ノート <Vol.7>
暗室 その2
本番プリントのために、まず段階露光をとる。赤いセーフライトの下で大四つサイズのバライタ印画紙を手で縦に二つに切り裂く。やはり手が勝手に動き出すという感じだ。本当はハサミやカッターで切ればいいのだが、いやそれ以前に印画紙を切り裂くことなく、一枚まるまる使えばいいのだが…節約のために学生時代からそうしている。
それを分厚いスポンジの上に置き、その上にデジタルネガのシート、さらにガラスを被せる。3秒ずつ、厚紙をずらして露光をかけていく。計6回。3秒から18秒まで段階露光したことになる。
その印画紙を素早く取り出し、現像液のなかにつける。2分15秒。昔ながらの巨大な秒針だけの時計を見ながら、時間を測る。竹ピンでつねに揺らし続ける。攪拌だ。印画紙に傷と折れがつかないようにするのには少しコツがいる。一気に裏返す必要がある。ふと、天ぷらを揚げているようだとずっと昔に考えてことを久しぶりに思い出す。衣を崩さないように丁寧にあげる天ぷらにやはり似ている。
現像液の次は停止液に30秒。
さらに定着液。この暗室では定着液のバットが二つ置いてあって、最初のバットで1分、二つ目のバットに2分30秒浸すことになっている。それが終わると印画紙を水洗槽に入れて、初めて明かりをつけることができる。そのスイッチに手を伸ばす。
眩しくて一瞬目を閉じる。6つに段階露光されたばかりの印画紙を手にしてみる。水洗前の印画紙はぬるっとしている。酢酸と定着液の匂いがツンと鼻をつく。
段階露光された印画紙を長いあいだ見る。慎重に露光時間を決める必要があるからだ。露光時間の短い方から数えて、最初の「黒の締まり」を見極め、それを基準とする。ただ、そこに真っ黒な被写体、絵柄がないとその締まりがわからなかったりする。さらに号数(コントラスト)を決断する必要がある。簡単ではない。経験が必要だ。そして勘に頼るところが大きい。
号数はコントラストフィルターによって調整する。かつて写真を始めたばかりの頃には存在しなかった。だから2号、3号、4号の印画紙をつねに用意しておく必要があった。学生にとっては大きな負担だった。でもしばらくして、フィルターを変えるだけでコントラストが変わる印画紙が登場した。マルチグレード印画紙だ。これとコントラストフィルターの組み合わせで使う。画期的だと思った。大げさではなく感動さえした。
2号、3号、4号の印画紙のときは号数を変えると露光時間も変わってしまった。だから号数を変えるたびに段階露光も最初から取る必要があった。本当に手間がかかり、正直泣きたくなるときもあった。
4号の印画紙はあまり使わないので買い足すことが少なく、途中で印画紙が終わってしまうことも何度かあった。すると当然ながらその日のプリントは終了となる。だから、最後の一枚は祈るような気持ちでプリントした。
ただ、いまとなっては画期的だと感じていたものがすべて過去のものとなりつつある。やはり寂しさを覚える。おそらく新品のコントラストフィルターをいま手にいれようとしても、難しいだろう。
沈思黙考。
暗室のなかでは必ずこの言葉が頭に浮かぶ。
撮影時の明るさ、アクティブさに対して、暗室作業はその真逆だ。光がないと写真は撮れないが、暗室ではその光を塞ぎ、余計な光が入らないことに細心の注意を払う。なにより一枚の写真を長いあいだ黙って見続けることになる。
ネガからプリントするときはまず2号のフィルターから始めるのが標準的だが、デジタルネガの場合は1号フィルターからの方がいいと暗室の方にアドバイスをもらった。それに従ってまずはそのフィルターで段階露光をとってみた。
少し「ねむい」気がする。フィルターをほんの少しだけコントラストが高い1と2分の1号に変えることにした。「黒の締まり」具合から露光時間は18秒と決めた。意外と露光時間が長い。ネガからプリントするときはこれほど長くはならない。ただ、この秒数もかなり勘の部分が大きい。全体の絵柄がわからないからだ。
写真を始めた頃、この「黒の締まり」をなかなか理解できなかった。「黒が最初に締まったところはどこか?」などと先生に問われても、黒は黒でしょ、そもそもも締まりってなに?という感じだった。いまもその締まりを言葉でうまく説明できない。いかに経験を要する職人的な作業、技術なのだと改めて思う。
引き伸し機のレンズの下のフィルターの号数を変え、最初から同じ作業を繰り返す。 (小林紀晴)