小林先生の写真ノート <Vol.9>
残された写真の現在形
この連載の第一回目で「ファウンドフォト」、「ヴァナキュラー写真」について書いた。創作や写真作品を目的として撮られたものではなく、多くの場合単純に日常のなかで一般の人が記録として撮った写真を指す。だから本来第三者にとってほとんど価値や意味がないものなのだが、時を経ると、どういうわけか普遍的な意味を見出す場面、場合がある。その魅力に惹きつけられて、祖父や父のアルバムに残された写真群に触れていることも以前、記した。
その写真群から何かしらの作品が作り出せないか。そんなことを考えて2年以上が経つ。そもそもは2022年に地元の長野県茅野市で展覧会を開いたのがきっかけだ。そのとき数点だけそれらの写真を用いて作品を新たに制作した。
正直、それまでは合成には否定的だった。つまり初めて合成することを試みた。必然を感じたからだ。撮影年不明(おそらく1950年代)の祖父が写った写真、1962年に撮られた父が写った写真、1974年に撮られた私が写った写真、さらに2010年に私が娘を撮った写真。どれもが地元の御柱祭の際に撮られたものだ。祖父と父は青年だ。私と娘は5歳とか6歳で、親子ではなくあたかも兄弟みたいに見える。祭の装束を誰もが着ているので、時代とか、時間感覚が消えていく感覚があった。そこに強く惹かれた。
展覧会が終わってから、この続きを作ろうと考えた。ある種の手応えを感じたからだ。まずは実家にあるすべてのアルバムのなかの写真をきれいに複写することだった。少し前だったらストロボを用いる作業だが、いまは便利なLEDライトがあるのでそれで行った。
やはり御柱祭を中心に多くの写真が残っていた。当然ながら誰もが若い。親戚や近所の人も写っている。ただ祖父のアルバムのなかでこちらをじっとみている人物が一体誰なのか、わからないことも多かった。御柱の装束を身につけた父と一緒に写っている少女がいた。背景は祭の喧騒だ。最初、私の姉かと思ったが、明らかに違う。母に「この人は誰?」と聞いてみても、知らないという。父は20年前に亡くなっているから、もはや聞くことはかなわない。姉の同級生だろうか、父の友人の子供だろうか、あるいはたまたまいた観光客だろうか・・・わからないからこそ、想像が勝手に膨らむ。
合成して作品を作り出す行為は意外なほど難航した。いまも現在進行中のままだ。ストレート写真の場合、割とすんなり写真が組めたり、ある世界観を構築することは私にとってはさほど難しくない。
それが思ったようにいかないのだ。経験の問題もあるかもしれない。加工ソフトにそれほど精通していないこともあるだろう。最後の落とし所で迷いが生じる、というのが正直なところだ。
だから数ヶ月、作業を進めたところで、一度ストップした。頓挫といういいかたもできるかもしれない。そしてまた再開することを何度か繰り返している。自分としてはかなり珍しいケースだ。
この先、どう進むのか。わからない。ただ、どこかに突破口は必ずあるはずだ。創作の苦しみはよろこびと同義語。そうだと考えながら、ゆっくりとでも着実に進めたい。 (小林紀晴)