小林先生の写真ノート <Vol.10>
雨と台北
3週間ほど前に台湾へ行ってきた。今年3回目だ。1度目は3月の終わりから4月の頭にかけて、2度目は5月後半に行ってきた。どちらも純粋な作品制作のための撮影だったのだが、今回はまったく別の理由で訪れた。ある写真展の準備、調査のためだ。
まだ詳細は書けず申し訳ないのだが、来年度、私が普段教鞭をとっている東京工芸大学内にある写大ギャラリーで、台湾のある写真家(故人)の写真展をすることになったからだ。
写大ギャラリーは来年50周年を迎える。先日、逝去された写真家・細江英公先生が1975年に教授に就任する際に設立した。教育機関付属のギャラリー自体が珍しい時代だったという。ましてや写真のギャラリーはどこの教育機関にもなかった。
学生時代、細江先生の授業は毎週月曜日の午前中にあって、代表作である「鎌鼬」や三島由紀夫を撮影した「薔薇刑」などをスライドで鑑賞した。当時は本当の「スライド」で、講堂を暗幕で真っ暗にして、映写機を2台使って交互にスクリーンに投影するスタイルだった。その方法がかなり印象的だったのでよくおぼえている。2台の映像が時間差で少しだけ重なりあう演出が施されて、まさにショーという感じだった。
当然ながら、初代の写大ギャラリーの館長は細江先生だが、不思議な縁で、現在、私がその任を負っている。今年で3年目になる。
台湾の写真家の存在は偶然知った。きっかけはその日、台北に雨が降っていたから。妙な言い方だが、本当だ。このことを、何人かにしたのだが、そのたびに、その話ってそれほど重要?という顔をされた。まあ、そうかもしれない。でもその日、雨が降っていなかったら、間違いなく出会っていなかっただろう。
最初の2回の渡航は日本統治時代の建築物を撮るというのが大きな目的だった。日本で事前に調べた地点を地図に落とし込み、ひとつひとつ訪ね歩いた。数が多くて、訪ねても、訪ねても終わりが見えなかった。でも、それは実に楽しい時間で、私はこのことに熱中した(結果として計画していた場所をすべて撮りきれなかったので、5月に再訪した)。
4月4日、台北は雨が降っていた。時折、小雨になったり止んだりもした。その合間を縫うように撮影した。正しくは、滞在中ずっと天気は悪かった。だから、折りたたみ傘をつねに携えている必要があった。
私は国立台湾大学の構内を撮影していた。敷地はかなり広く、雨を遮るものがあまりなかった。日本統治時代に建造された校舎が現在も現役で多く使われている。
次第に雨が強くなってきた。かなり粘っていたのだが、これ以上は難しいというほどに降ってきたので(三脚を立てて撮影をするため、より困難になる)、諦めて、大学を一度離れて地下鉄駅近くのカフェに逃げ込んだ。
たまたま通りの向こうに見えて、入ったに過ぎない。コーヒーとホットドックを注文し、階段を上がり2階の窓際の席に座った。濡れたカメラやレンズ、三脚などをタオルで拭きながら、窓の外をぼんやりと眺めた。
ガラス越しに誠品書店の看板が見えた。誠品書店は台湾では有名な書店で、台北市内だけでもいくつも店舗がある(東京にもあるようだ)。日本の蔦屋書店のモデルになったともいわれていて、早い段階から店内にカフェがあり、コーヒーなどを飲みながら本を選ぶことができるなど話題になっていた。
アート系の書籍も多く、写真集なども扱っているので、代表的な大きな店舗には着いた初日にすでに訪れていたし、お店を見つけるたびに大した用もないのに入るようにしていた。このときも同じく、コーヒーを飲み終わったら、帰りに入ってみようと考えた。
そこで一冊の写真に関する本に出会った。それまでに訪れたほかのお店には置かれていなかったものだ。未知の写真家が紹介されていた。
だから、この日、雨が降っていたことはやはり重要だ。(小林紀晴)