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サークル:組写真

小林先生の写真ノート <Vol.1>

今月から連載を始めさせていただくことになりました。タイトルの通り、日々写真に関わるなかで発見したり、感じたことを綴っていきたいと考えています。どのようなことを書くことになるのか、正直私にも予測がつきませんがお付き合いいただけましたら幸いです。

最近、気になっているのは過去に撮られた写真のことです。それも私が撮ったものではなく、他の誰かが撮った写真についてです。そんな写真群が静かですが写真界で注目され始めてもいます。その代表的なひとつが「家族アルバム」のなかに眠っている写真です。研究者のあいだでは「ファウンドフォト」とか「ヴァナキュラー写真」と呼ばれています。写真作品を目的として撮られたものではなく、日常のなかで単に記録として撮られてきた写真ということになります。本来、第三者にとって価値がそれほどないと思われていたものに価値をあたえる、あるいは見出すことにもなるかもしれません。
私の長野県諏訪の実家にも祖父や父が残したアルバムがあり、その一部をこれまでも自分の作品に取り込んできました。一昨年の秋に実家に帰った時に物置を改めて見てみると、それまで完全に見落としていたアルバムを新たに幾つも発見しました。夏に地元で大きな展示をした直後のことでした。もしその前に発見していたら、その展示にも加えられたはずだったので残念に思ったことをよく憶えています。
なかでも父が若い頃に御柱祭に関わっていた写真がいくつも出てきました。御柱祭は1,200年以上の歴史があるといわれています。申と寅の年(6年に一度)行われるもので、諏訪の人間にとっては大袈裟ではなく、人生と切り離せないほどの存在です。6年に一度というのが、記憶と結びつきやすいとも感じます。6年前、12年前の御柱の年・・・自分は何歳で、どこで何をしていたかと記憶を遡る目安となるからです。
御柱の装束を着た父、あるいは近所の人、そしてまったく面識のない人たち・・・果たして、これはいつの御柱祭だろうか。御柱祭のあった年と父の年齢を数えながら、写真のなかの姿から想像をしてみます。
父は昭和15年生まれです。そして御柱があった年は昭和19年、25年、31年、37年、43年(ちなみに私はこの申年生まれ)、50年、56年・・・。
なかに中学生くらいの父の姿を見つけました。御柱祭の一場面であることは明らかです。おそらく昭和31年、16歳の父だと推測がつきました。頭には制帽をかぶっています(左から2人目)。右端の同級生らしい少年は手に祭にはなくてはならない「おんべ」を持っています。
ちなみに中学1年生の私の姿もありました。父が撮ってくれたものです。入学したばかりの春でした。中学校の制帽を被って緊張気味に立っています。やはり「おんべ」を手にしています。昭和56年、12歳のときです。父と同じく私も制帽をかぶっています(ちなみに現在の御柱祭で制帽をかぶっている姿は見かけることはありません。いつ途絶えたのでしょうか。少し気になります)
ふと、思いついて昭和31年、16歳の父の写真の横に昭和56年、12歳の私の写真を並べてみました。次第に4つ違いの兄弟のように見えてきました。(小林紀晴)
 

 

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